石文化
石文化
普請を命じられた西国大名のうち、筑前黒田藩は石垣用の石切丁場を小豆島岩谷に開いていましたが、普受終了後、同家の家臣史七兵衛を残石監護のために派遣し、屋敷を構えて番をさせました。
幕府から他の大名が勝手に城郭建築などに利用することがないように、残石を厳しく管理するように命じられたためです。
七兵衛は二人扶持が与えられ、また岩谷年寄にも一人不持が与えられました。
七兵衛は岩谷に土着し、その子孫は明治維新まで残石監護にあたり、屋敷跡は『番屋敷』と呼ばれていました。
幕末は海防のため今津台場の用石の調査として、文久3年(1863)丁場の石改めを行い、作成された『御用石員数尺改帳』が同家後裔の石本家に残されています。
維新後は工部省、後に陸軍省の管理下におかれて民間の採石を禁止いていましたが、明治15年(1882)に払い下げられました。
アクセス | 香川県小豆郡小豆島町当浜 |
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