史跡 石文化
史跡 石文化
小豆島の山中には、『しし垣』(猪垣、鹿垣、猪鹿垣)
と呼ばれる高さ約1.5m、幅は下端約1m、上端約60〜70cm
の石垣、あるいは土塀がところどころに残っています。
古来島内には、イノシシやシカが多く生息し、
農作物への被害を防ぐために築造されたのがしし垣でした。
延享2年(1745)の壷井家文書に『威垣いたしおき』とあることから、
すでに江戸時代中頃にはしし垣が築造されていたことが
分かります。また、明和3年(1766)の安田赤松家文書によると
その築造や維持管理を村人全員で行うことを申し合わせています。
村境を越えて全村で築造に関わっていたことも他の記録に
残っています。小豆郡誌によるとしし垣は全島を一周する
延長30里(約120km)におよび、寛政2年(1790)完成しました。
その築造に上村年寄役の村上彦三郎が尽力したこと(神懸通木下庵
にその功績を記した碑がある)などが記録されています。
このしし垣築造の背景には製塩業のために山林伐採が
すすんだこと、元禄年間(1688〜1703)にはじまった小豆島全域に
対する年貢の特徴などがありました。
いくつもの困難を克服するべく村人たちが半世紀に及ぶ年月をかけて
膨大な石を積み上げ、土を練り固めて
しし垣を造ったことは驚くべき事実です。
橘峠から海岸に続く辺りにあるしし垣は大きさ30cmほどの花崗岩が
びっしり積み上げて造られており、築造当時の姿をしっかり
残しています。中には大きな自然石を利用して積み上げられている
ところや、土塀と石垣が断続しているところもあるようです。
また、『しし壷』と呼ばれた落とし穴がしし垣近くに作られていた
ようです。
アクセス | 小豆郡小豆島町橘 |
---|