小豆島はどんな島なのでしょうか?
島の基本情報、地勢・気候をご紹介します。
小豆島は、瀬戸内海国立公園の中心地で、広さはわが国で19番目の島。20余の属島を含め、169.86㎢の面積をもつ。
人口は約2万8千人。(2017年現在)
古くは、吉備・備前の児島郡に属したが、弥生時代から塩が生産され、御名代地や皇室、神社などの塩荘園として発展した。瀬戸内海の要衝にあって、漁業、造船、廻船業も盛んであったが、豊臣家の蔵入地となり、さらに江戸幕府からも加子浦に指定された。
また、10世紀ごろからこの島は海賊の拠点のひとつであったようで、紀州熊野水軍や伊予村上水軍とも連携があった。近世に幕府などの直轄地となったのは、島の水軍利用のためである。
江戸時代、良質で知られた塩が生産過剰になると、醤油の産地に転換、素麺、石材などとともに、島の経済を支えてきた。江戸中期には、讃岐高松藩の預り地となり後期には、島の東部が伊予松山藩の預り地になるなど、離島らしいいくつもの変遷がみられた。
1838年には島の西部が美作津山藩領となったが、明治になって香川県に所属、1878年に小豆郡を形成した。44を数えた村が次第に統合され、1957年に土庄町・内海町・池田町の3町になった。2006年には内海町・池田町が合併して小豆島町が発足し、現在は土庄町・小豆島町の2町から成る。(2017年現在)
瀬戸内海で2番目に大きな小豆島の海岸はリアス式で、南海岸は美しい曲線を描いている。小豆島の形は、西に向いた“牛”や“犬”のように例えられ、島の周辺には大小20以上の島が点在している。 島の歴史は、約2000万年前から始まる瀬戸内海地域の地殻変動と火山活動の活発化によって始まったと考えられている。島の基盤となっているのは南方の海底火山から流れてきたマグマがゆっくり冷え固まることによってできた花崗岩層の一部である。その陸地が押されて隆起することにより、現在の瀬戸内海や四国、そして小豆島が形作られた。小豆島における火山活動は約1300万年前から本格化して約100万年前まで続いたと考えられている。 瀬戸内海の最高峰星ヶ城(817m)から西へ峰が続き、美しの原高原(777m)に至る。この山れいの南側は浸食が進み、傾斜も急で、長年の風雨による浸食をうけて奇峰となり、寒霞渓の絶景を作っている。小豆島、豊島共に高い山が海岸にせまっているので、平地は少なく、わずかに海岸や川の流域に点在している。
小豆島の気候は瀬戸内海型気候であり、温暖少雨、年平均気温は15度前後である。夏(7月中旬~9月上旬)の平均気温は26度前後、最高気温の平均は31度前後である。冬(1~2月)の平均気温は5度前後で、最低気温の平均は1度前後であるが、年により氷点下に下がることもある。雪は年によって1、2回降ることもあるが、積雪量は少ない。 降水量は少なく、年平均1100㎜前後である。