星ヶ城跡

星ヶ城山は瀬戸内海で最も高い標高816.6mの山です。
かつて、ここに城がつくられていたことは知られていましたが、
1976年(昭和51年)に行われた総合調査により、星ヶ城という
中世の山城が確認されました。

星ヶ城は天険の要害を利用した城で、西峰を本城、
東峰を詰の城とする堅個な守りを持つ山城でした。
本城の西峰には一の木戸(表門)、空壕、土壇、曲輪、
土塁など防御の遺構があり、本部の役割を持つ
居館跡や鍛冶場跡などもありました。
東峰の詰の城には天然の湧泉や人工井戸により
水を確保したことや、烽火台(のろしだい)をつくり、
麓しの居館との連絡をしていたこと、石材加工場と
みられる舟形遺構から城郭補修していたことなどが
多くの遺構から推定できました。
(調査報告『星が城-小豆島山城遺跡調査-』より)

この星ヶ城は南北朝時代に備前児島半島の飽浦(あくら)の
豪族佐々木信胤が小豆島に拠って南朝方に呼応した
史実(1339年)から、彼が戦時の城として使ったものと
考えられます。彼の働きによって、一時は南朝方が
瀬戸内海の制海権を握ることができましたが、
1347年に北朝方の細川師氏の大軍に攻められ、
激戦の末に敗れました。

島内各地にはこの戦いによって命を落とした者を
祀る墓や供養碑などがあり、『城崩れ』と言われて
この戦いが伝承されています。

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