大坂城用残石番屋七兵衛屋敷跡

江戸幕府による大坂城再築は元和6年(1620)に始まり、
寛永9年(1632)に終了しました。

普請を命じられた西国大名のうち、筑前黒田藩は
石垣用の石切丁場を小豆島岩谷に開いていましたが、
普受終了後、同家の家臣史七兵衛を残石監護のために
派遣し、屋敷を構えて番をさせました。
幕府から他の大名が勝手に城郭建築などに
利用することがないように、残石を厳しく
管理するように命じられたためです。

七兵衛は二人扶持が与えられ、また岩谷年寄にも
一人不持が与えられました。七兵衛は岩谷に土着し、
その子孫は明治維新まで残石監護にあたり、
屋敷跡は『番屋敷』と呼ばれていました。

幕末は海防のため今津台場の用石の調査として、
文久3年(1863)丁場の石改めを行い、作成された
『御用石員数尺改帳』が同家後裔の石本家に
残されています。維新後は工部省、後に陸軍省の
管理下におかれて民間の採石を禁止いていましたが、
明治15年(1882)に払い下げられました。

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